| ■〔映画鑑賞メモVol.8〕『阿弥陀堂だより』(2002/小泉堯史) |
&『博士の愛した数式』(2006/小泉堯史〔こいずみたかし〕)鑑賞プチ・メモ こんばんは、ダーリン/Oh-Wellです。 いやはや、僕に取っては、何か妙に長く感じるこの一週間でした。 この週の始め(1/23・月)には、ある集まりが有ったのですが、これは、おそらく、今年最後となる(^^)新年会でもありました。 ![]() 如何せん、月曜日ですから集まったのは10人ほど、 いつもに比べれば少人数なのですが、いよいよ実感を増しつつある「ストーンズ来日公演」の情報交換などのお喋りを中心に、週の初っ端から、とても楽しい数時間を持てた次第です。 *** さて、この月曜日の前日、僕も漸(ようや)くにして、この2006年最初の劇場映画鑑賞が叶いました! 『博士の愛した数式(2006/小泉堯史)』〔>1:公式サイト>2:goo映画〕です。 ![]() 鑑賞から一週間が経とうとする今も僕に清々しい余韻を残してくれている、この『博士の愛した数式』という映画が僕の2006年最初の劇場鑑賞映画となったことにじわり幸せな心地でいます。 まぁ、前回(1/22)のエントリー中に今年最初の劇場鑑賞映画の候補として挙げた内のもう一本である、『僕のニューヨークライフ(2003/ウディ・アレン)』〔>1:IMDb>2:Movie Walker〕は、残念ながら、当日家を出るのが夕方になってしまい鑑賞することは叶いませんでしたが、これも2月中には是非鑑賞しておこうと思っています! *** さてさて、僕は、小泉堯史監督作品を、処女作である『雨あがる』(2000)から今作『博士の愛した数式』までの3本、ほぼリアル・タイムで観て来ました。 ![]() ![]() この、長く、故・黒澤明(1910―1998)監督〔>1:jmdb>2:IMDb|※右上Ph〕の云わば門下にあって、師たる黒澤明監督の死後、ようやく50代半ばにして監督デヴューとなった小泉堯史ですが、一作毎に前作よりも少しずつ見応えのあるものを為し得て来ているように僕なりに感じてもいます。 本作に於いても、過去の2作品同様、映画中にある山川を擁した風景の美しさ、凛とした佇まいの主人公たち、爽やかな余韻などには、小泉監督の美点たるものを感じ取れましたし、一方で、この新作ならではの新味も感じました。 その『博士の愛した数式』に於ける僕の感じ取れた新味に挙げられるものの一つが、僕としては初めて感じた吉岡秀隆(1970年生)の映画栄え。TVドラマ『北の国から』での“黒板純”役などでは僕を惹きつけるものがあっても、映画、特に、寅次郎の甥“満男”を演じた「男はつらいよ」シリーズ以降の映画出演作に於いては、実は、然程スクリーン上の彼の姿に有り難味を感じることが出来ずにいたのです。 この俳優が醸し出す人の良さと頼りなさの相俟つ部分、良い意味合いでの青臭さ、…そう云った持ち味は、今回の“ルート”というニック・ネームを持つ若い数学教師役に打って付けのものと為って活かされ、“ルート”というキャラクターに説得力を持たせるところとなり、彼の存在感を忘れ難いものとし輝かせているのみならず、映画自体を輝かせる縁(よすが)と為っていたように思います。 まぁ、本作に於いては、主要キャストの演技、存在の魅力だけを取ってみても、今、中々一遍に言いくるめられぬ訳でして、再鑑賞した後にでも僕なりにきちんと纏(まと)まるものがあれば新たなエントリーを起こしてみたいと思う次第です。 *** …さて、 本エントリーの最初に書いた、「何か妙に長く感じるこの一週間でした」の件ですが、 今から思えば、そう、週の始め(日曜、月曜)に、楽しい時間を持てたからこそ、その後が殊の他長く感じられたのでしょう...(^^) ―という訳で((^^) 今回は、小泉監督の前作『阿弥陀堂だより』(2002)について纏(まと)めたものを残して本エントリーの締め括りとさせて頂きます。 確信犯的な良心作 ***ネタバレ注意 『阿弥陀堂だより』という小泉堯史(こいずみたかし)監督2作目の本作品は、云わば、確信犯的な良心作とでも言えるかと思えます。 もうオープニングからラストまでどきどきする…。映画全編にわたる主人公夫婦(寺尾聰、樋口可南子扮する上田孝夫、美智子夫婦)の間に於ける丁寧な言葉のやりとりや穏やかで誠実な互いへの向き合い方、加えて、この上田夫妻に於ける、阿弥陀堂に起居する北林谷栄扮するおうめ婆さんへの、また、農婦やら、子供やら様々な村人への余りに飾りのない、そして、誠実な向き合い方にドギマギ、時にはジリジリしてしまう…。 ただ、少なからぬ観客はこの夫婦を仕舞いには受け入れていると思えますね…。透明感を湛えてどーんとスクリーンに広がる奥信濃の風景に半ば無条件に見惚れているのが心地良いのと同じようなレベルでこの極めて小泉的な夫婦を、少なくとも僕は受け入れてしまえました。 *** 映画冒頭、長閑な風景の中を歩く主人公夫婦。何か菓子折りの紙袋をぶら提げて、にこやかに歩く上田孝夫(寺尾聰)の飾りっ気のなさにどぎまぎ…。 所々、寺尾や樋口がアマチュアと絡むシーンが有るのですが、実際スクリーンで向き合っていると、これじゃ、ルポルタージュなんだか、教育ビデオなんだか分からないじゃないかってなもんで…危なっかしくって多少なりとも、また、一瞬にせよ身構えてしまう。 ![]() 劇中、奥信濃(※寺尾扮する作家・上田孝夫の故郷)に移ってくる前の美智子(樋口可南子)が東京の大学病院の有能な医師だったこと、(何人もの)死に接する日々の中、妊娠した子供を流産してしまい、その後“パニック障害”なる心的な病に苦しみ、病院を離れた事などが明かされて行く。 美智子の様々な葛藤は彼女が田舎の道端でしゃがみ込んでしまったりする描写や、親しくなった村の娘・小百合(小西真奈美)の症例を知るや、彼女の担当医を志願し病院のハードワークに戻り小百合への臨床、手術に没頭して行く過程の中で適当に明かされて行きます。 一方、夫の孝夫は劇中飽くまでも淡々としている。泣き言をこぼすでもなし、苦悩を垣間見せる訳でもなし、自己弁護も自分を貶(おとし)めたりすることもなくいつも穏やかでにこやかで人懐っこいが、決してでしゃばった印象を与えない身振りは中々カッコ良い。 *** 加えて凄いのが、この映画中の上田孝夫という主人公に労働の身振り、素振りが希薄なこと。 彼が映画のタイトルにも冠された「阿弥陀堂だより」のコラムが載った村落の広報誌を配り始めるのは、孝夫が「僕、やる事ないから」と、或る主婦から引き継いでのもの。孝夫、一軒一軒に広報誌を配って行く訳ですが、行った先々の老婦たちに「最近お体(農作物etc.)どうですか」「何か困った事有ったら言ってね」「また来るからねぇ」等々と云った他者を気遣う、しかし、空気みたいなさり気ない言葉を投げ掛ける。この広報誌の配達振りからも使命感やら義務感みたいな欠片は見出せない。何か昼日中の散歩ついでみたいな素振りなんです。 ただ、おうめ婆さんが起居する阿弥陀堂(※村の死者が祀られている)の脇にトイレを作るためトタンを担いでくる場面や、後半、秋の稲刈りのシーンで稲穂から孝夫の笑顔が覗くあたりでは、少しは働いてるなぁと微笑ましくなる。 ![]() この映画にある寺尾と北林のナチュラルさは誰にも真似のできない芸でしょう。映画の中程までを観る分には、かつての艶っぽさが褪せたように思えた樋口も後半加速度的に可愛くなってくるのが嬉しい。ここら辺は極めて映画的な部分でしょう。 さて、先述した小西真奈美扮する“小百合”は口が利けない。 そんな彼女は、おうめ婆さんが語った様々な言葉を書きとめ、件の広報誌に「阿弥陀堂だより」として連載し続けています。この二人の交流、交歓はラスト近くで少なからぬ人に於いて涙のツボに来るかと思います。 ![]() この『阿弥陀堂だより』という映画、まずは、日本人の情緒、琴線に触れてくるであろう、山川、田畑を擁した四季の風景が大きく捉えられていることが大きな美点かと思えますし、そんな風景を擁した山間にぽつんと在る「阿弥陀堂」という舞台装置も全篇にわたって魅力的でした。日々ゆったりと移ろい行く風景の中にあって、そこに起居するおうめ婆さんとは同体化しているかのような滋味深さを醸し出し、村人たちがそこに集うことで、また、季節や一日の移ろいによって、その表情、佇まいは異なった画面栄えを見せていたように思い起こします。 ![]() また、役者たちのある種のぎこちなさが奥信濃的、寺尾扮する上田孝夫的、北林扮するおうめ婆さん的なナチュラルに変遷していく過程が僕に取っては快感でした。 『阿弥陀堂だより』という映画、僕にとって、理屈ぬきに、季節を問わず(笑)繰り返し観て行く映画になることでしょう。 |
by oh_darling66
| 2006-01-28 23:56
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