| ■〔映画人物評Vol.2〕バーナード・ハーマン |
皆さん、こんばんは! ようこそお越しくださいました。 先日は誕生祝いのお言葉なども頂戴しありがとうございました。 陽光も青葉若葉も美しい五月、 この初夏の頃は、僕自身が生まれた時節でもあり、何はともあれ喜びの多い時節です。 しかし一方で、大型連休明けのこの頃は、ともすれば心的肉体的疲れに見舞われ勝ちな時期でもあるかと思います。 それゆえ、この季節の心地良さに耽溺したくもなる人間の健全な心理、生理と相俟って、ふいに現実逃避してしまいもする事とすら相為るかもしれません。 張り詰めていたものが、弛緩し始めもする時期でもあるのでしょう。 何にせよ、気張ってばかりでも仕方がないと僕自身は悟っています。(―年齢を重ねてほんの少々は達観出来るようになったかも(^^)) ―さて、 昨日の忙(せわ)しない午後...勤務中(^^)、 ちょっと、ある音楽が僕の内に湧き起こりました。 今日夜半となって気づくのはそれは静かにじわりと僕を癒やしつつあること…、 そう…(^^)、 バーナード・ハーマンの『タクシー・ドライバー』のメインテーマの旋律が、 今回に限ったことでは無く、僕の内に不意に流れ始めることがあります、 このメイン・テーマが纏(まと)う哀感と甘美は、どこか心的に疲れが付き纏って容易にぬぐいきれぬ時などに僕の内に流れ出して、少しずついつの間にか……(後略)。―さて、本日は、偉大なる映画音楽作曲家の一人たる、バーナード・ハーマンについて以前に纏(まと)めたものを御披露目いたします。 ◆Phは、ヒッチコック(左側)とハーマン(右側) 天才的な独創性に紡がれた映画スコア群 ***ネタバレ注意 バーナード・ハーマン(1911―1975)の生み出した映画音楽は常に映画の細部から映画全体に輝きを加えて余りあるものだろう。その多くは美しい旋律を基調としながら、しかし、その音は甘美ではあっても決して甘ったるいものに堕しはしない…。 ハーマンの映画音楽は映画に紡がれたイメージと共に美と驚きを以(も)って僕の心を掻き立て潤す。 彼の映画に於けるキャリアは『市民ケーン』(1941/ウェルズ)から始まり『タクシー・ドライバー』(1976/スコセッシ)で幕を閉じる。 僕は、映画音楽には「映画」というイメージのコラージュたるものの上辺を装うだけのものも在れば、イメージが放つ力に拮抗しながらイメージを解き放つレヴェルのものも在ると思っている。 ―バーナード・ハーマンの生み出した映画音楽は、イメージと拮抗し強靭な独創性に一貫した音でイメージを完全に解き放ち、映画全体に輝きを加えて行く。 彼の一作曲家としてのオーソドキシー(正統性)たるところは“後期ロマン派”の音楽性にあると見聞きする。ニューヨークのジュリアード音楽院で作曲や指揮を学んだ彼は、クラシック音楽のみに飽き足らず現代音楽作曲家としてキャリアを積み名声を高めて行く。 ****** ハーマンのコマーシャルな作曲家としてのキャリアはCBSラジオ入社以後に始まる。 このCBS時代にハーマンはオーソン・ウェルズと出会い、彼が製作するラジオ番組「マーキュリー劇場」にもスコアを書いて行く。この番組を今日まで知らしめているのはニュース速報の形で流した“火星人襲撃”の衝撃性ゆえだろう。一フィクションが当時(1938年)のアメリカ市民に大混乱、大反響を招いた一点からだけでもメディア史上の一大エポックと言い得るものに違いない。1940年、RKOは“時の人”ウェルズに『市民ケーン』(1941)を撮らせることと為る。そして、ハーマンはウェルズによってハリウッドに招かれる。 ハーマンは1950年頃から映画音楽に本腰を入れる。 当時20世紀フォックス音楽部長だったアルフレッド・ニューマン(※“20世紀フォックス映画ファンファーレ”の作曲者としても名高い)に才能を買われて良い仕事を多く回してもらったこと等も幸いし、ハーマンは1950年代当初から充実したスコアを生み出して行く。 特に、『ハリーの災難』(1955)から『マーニー』(1964)に亘るヒッチコックとのコラボレーション期間などは正しくハーマンのキャリア中最充実の傑作スコアを多く為し得ていよう。 1950年代、1960年代のハーマンは映画スコアを為す一方でTVの仕事も多くこなした。 彼は生前「現代音楽作曲家も、映画、TVメディアに積極的に貢献すべき」と発言している。 ハーマンの残した映画スコアは『市民ケーン』(1941)から数えて50作品に満たない。 ハリウッド第一線に30数年ほど在った作曲家が残した映画スコアが“50弱”というのは、ハーマンと同時代の売れっ子作曲家たちに比べれば決して多い数ではない。 ―例えば、ミクロス・ローザ(1907―1995)は『密告者』(1937)または『鎧なき騎士』(1937)から数えて100作品ほどの映画スコアを、アルフレッド・ニューマン(1901―1970)は『放蕩息子』(1930)から数えて180作品ほどの映画スコアを残している。 ―しかし、完全主義、凝り性であり、また、社交下手、人間嫌いであったと云われるハーマンの仕事ぶりや人となり等を鑑みれば充実の“50弱”だともまた言えよう。 ハーマンはしばしば監督と意見が合わずに苦しんだという。 しかし、僕など、ハーマンが創作上の様々な葛藤、監督との軋轢の果てに為し得た渾身の創造(―繊細かつダイナミックな旋律、斬新かつ品位ある音…)に歓喜を以って身を委ねるばかりだ。 ハーマンにとって『タクシー・ドライバー』(1976)でのスコセッシとの仕事は身を削るものだったようだ。 ここ『タクシー・ドライバー』に於けるハーマンの音は主人公を中心に紡がれるイメージと一体になって、狂気、甘美、焦躁を的確に紡いで行く。そして、ここに在るハーマンのスコアは繊細な肌理を湛えながらも、その音はイメージの内に激情を滾(たぎ)らせイメージと共に生々しく迸(ほとばし)り続けている…。また、この映画で世界的な称賛を勝ち得ることと為る若きスコセッシ(※公開当時34才) の才気を慈しみ、束の間、スコセッシの紡ぎ出すイメージに耽溺しながら奏でられているようにすらも感じる。 本作の全ての録音を終えた翌未明(1975年12月24日)にハーマンは息を引き取る…。 映画はバーナード・ハーマンへの哀悼の言葉 Our Gratitude and Respect to Bernard Herrmann June 29.1911-December 24.1975 ―がエンドロールの最後に示され幕を閉じる。 〔当ブログ内の関連記事〕 ■〔映画評Vol.12〕『華氏451』(1966/フランソワ・トリュフォー) |
by oh_darling66
| 2005-05-12 23:59
| ■ 映画人物評
|
| << ♪本日のいい訳がまし(第4回)... | ◆名古屋(および関西)旅行/「... >> |





































































































































































































