| ■〔映画評Vol.7〕『ベティ・サイズモア』(2000/ニール・ラビュート) |
―&◆◆ロード・ムーヴィー(/ロード・ムービー)考・その1 皆さん、こんばんは。 ―さて、 先日(3/26)、『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001)について書いたものを御披露目した際にも書かせて頂いたように、僕はレネー・ゼルウィガーが大の贔屓、そして、彼女のここまでのベスト・アクトは『ベティ・サイズモア』(2000)だと思っています。 僕の好きな映画ジャンルの一つに「ロード・ムーヴィー」があるのですが、『ベティ・サイズモア』も異色の所謂ラブコメであると同時に、レネー扮するヒロイン“ベティ”のオフ・ビートな魅力によって中々出色のロード・ムーヴィーとも為っているように思えます…。 本日は、この『ベティ・サイズモア』について以前に纏(まと)めたものをお披露目いたします。 これまで、最もレネーを生かした映画! ***ネタバレ注意 映画冒頭、ハンサムな外科医の執刀が示される。執刀を終え手術室を出た彼は困憊(こんぱい)の面持ちで息をつくがそれも束の間、院長から新たな大手術を依頼される。 そのアップになった表情には逡巡が過ぎるも「やりましょう」と院長の肩を叩く。外科医を捉えた画面が粒子の粗いものに転じると、緑色の瞳でうっとりと外科医を見詰めているヒロイン(※レネー・ゼルウィガー扮するベティ)の大写しの顔に切り替わる…。 キャメラは「ちょっと」と声を掛ける初老男(※モーガン・フリーマン扮するチャーリー)を捉え、続いて、カウンター内で客に背を向けモニターを見上げるウェイトレス姿のベティとその背後に座る初老男とその連れ(※クリス・ロック扮するウェズリー)を一つの画面中に示す。 チャーリーが尚も声を掛けると、ベティはモニターを見上げた侭(まま)で後ろ手にコーヒーを注ぐ。チャーリーはベティ同様にモニターに見入っている隣のウェズリーに「おい見たか」とひとり感心の態…。―ベティ、ウェズリー等が一心に見入っていたのは「愛のすべて」なる人気TVドラマ。 主役はデイヴィッド・ラヴェル医師(※グレッグ・キニア扮するTVスターのジョージ・マッコードによって演じられる劇中劇キャラクター)だ。 さて、ベティはカウンターを出て馴染客(地元の保安官、新聞記者)のテーブルへ。 ベティを前に男二人は相好を崩す。 カウンターに戻ったベティは同僚の気配が無いのに気づき厨房に入って行く、と、一塊になっていた同僚たちが「誕生日おめでとう!」と飛び出して来る。彼らはデイヴィッドの等身大パネルと可愛らしいケーキを、さらに、「看護学校費用に」と金一封を手渡す。感極まるベティの笑顔、素振りが眩(まぶ)しい。 ここレストランのシークエンスでは、モニターに在ったジョージを含め主要人物がほぼ勢揃い、終盤に於いてもLAの或る一軒家に主要人物たちが一堂に会する。 一方は穏やかさに満ち、一方は修羅場だ。 さて、続くシークエンスではベティの荒っぽい亭主(アーロン・エッカート)が登場。 仕事を終えたベティは中古車販売店を営む夫の元に帰って行く。幸福感に満ちたレストランとは異なり、夫婦が在る場は何やら冷ややかで殺伐とした印象だ。そして、この場に於いてベティの一大転機が訪れる。 ベティは凄惨な暴行(―詳細は伏せる)を目撃したショックで其の直前まで録画テープで浸っていた「愛のすべて」の虚構世界と現実が交錯、件のデイヴィッドと嘗て婚約したものの彼女自ら別れを選んだと思い込んでしまう。 ------ 本作はニール・ラビュートが映画空間に為し得た“自立”の寓話だ。 ベティにとっては、凄惨な暴行を目の当りにした事がLAのデイヴィッドと“再会”するためという動機となり、また、自立という潜在願望に衝き動かされて家(※カンサス)を飛び出す契機となる。 そんなベティが愈々デイヴィッド/ジョージと慈善パーティーで出会うシーンは圧巻。 ![]() 会場にやって来たデイヴィッド/ジョージを見つけたベティは胸ときめかせて彼に近づく。「デイヴィッド…会いたかった」と切なく、愛らしく迫るベティを目の当りにするジョージと番組スタッフは、それを若手女優の売込みとでも捉え愉快そうに調子を合わせるが、一方で、ベティの一途さとでも云ったところに気圧されても行く…。 ベティがデイヴィッド/ジョージに連れられ突如撮影スタジオに入り(※詳細は省く)混乱、狼狽の果てにおろおろとスタジオを出て行くシークエンスも強烈。 ベティにとってデイヴィッドとの出会いは、ジョージへの気づきに繋がって行く。 ジョージ/デイヴィッドを演じるキニアは、一途なベティに心揺さぶられて行く純粋さとスターの奢(おご)りや身勝手が垣間見えてしまう浅薄さを体現し、尚且つ、ジョージを憎み切れぬ男に為し得て見事。 初老の殺し屋チャーリーに扮するフリーマンの妙演もしみじみ堪能できた。 チャーリーは一度レストランで擦れ違っただけのベティを追う内に、彼女に女神を見出してしまったかの様に何かトチ狂って行く。夕闇のグランドキャニオンで幻想のベティを抱きキスする辺りなど、ここ暫(しばら)く理性的な年長者を多く演じて観る者を惹きつけてきたフリーマンのイメージとのギャップと相俟って妙な可笑し味が醸し出される。 映画終盤、ベティと向き合ったチャーリーは堰を切ったように自分を曝け出す。纏(まと)って来た冷酷な殺し屋の身振りから“純粋なロマンチスト”たる側面、延いては、“理性”が立ち現れる。彼が一心に手向ける言葉は、ベティに自立の力の在り処を諭して行く。 映画終幕、***(※ベティがLAへの道中立ち寄ったアリゾナの酒場で、そこの女店長がベティに語った「人生を変えた場所」に違いない)のカフェに寛ぐベティが示される。 纏って来た制服から束の間開放されたベティの姿、カフェのTVモニターに見入るウェイターを笑顔で遣り過ごすベティの姿が清々しい。 カフェを出て広場に立つベティ、ここにはベティの新たな人生が緩やかに広がっている。 補足) ◆◆僕は3年ほど前から、本作のヒロインRenee Zellwegerの表記を“レニー”から“レネー”へと改めています。 彼女のファースト・ネームの発音は、当の彼女曰く「(※日本語で書けば)“レニー”だと男の名となってしまう、私のファースト・ネームは(※日本語で書けば)“レネー”と発音するのよ…」とのこと。僕はこれを雑誌か何かで見聞きして以来、レニーからレネーに改めた次第です。 何にせよ、外国人の名をカタカナ表記に置き換えるのは今更ながら厄介なものだと感じますね。(^^) ◆◆ロード・ムーヴィー(/ロード・ムービー)考・その1 ロード・ムーヴィー/ロード・ムービー… ―その解釈は案外人それぞれでしょうし、また、解釈の幅があるものに思えます。 最近の映画ですと、公開されて間もない『サイドウェイ(2004/アレクサンダー・ペイン)』〔◆IMDb◆公式サイト〕などは僕に取って中々出色のロード・ムーヴィーと言えるものでした。・・・そう、ひとつは、主舞台となるカリフォルニアの日中、夕暮れ、夜半などの空気が肌に感じ取れるかのような、そこにある空気がこちらにそよ吹いてくるかのような感覚を持てました。そんな部分に、まずは、得がたいこころよさを感じ取れた次第です。 一つ僕が思っているところを言えば、 「ロード・ムーヴィー」は、主人公等が旅的なものによって何かを得る場合と、背負ってきたものを意識的に降ろす場合があるように思います。(※まぁ、表面上、どちらかには寄り傾くだろうといった程度の考えに過ぎません。) と云うわけで、いずれ「ロード・ムーヴィー」を僕なりに深めてみなくては。(^^) *** 最後に、 女性が主人公のロード・ムーヴィーを思い起こしてみたところ、意外と形に為ったので以下にお示しします。 ―女性が主人公のロード・ムーヴィー5傑 1)『情事』(1960/アントニオーニ) 2)『憎いあンちくしょう』(1962/蔵原惟繕) 3)『イタリア旅行』(1953/ロッセリーニ) 4)『アリスの恋』(1974/マーティン・スコセッシ) 5)『沈黙』(1962/ベルイマン) 次点・・・『エル・スール』(1982or.1983/ビクトル・エリセ)、『ベティ・サイズモア』(2000)他 〔当ブログ内の関連記事〕 ■〔映画評Vol.5〕『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001) |
by oh_darling66
| 2005-04-02 23:58
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