| ■〔映画評Vol.3〕『欲望』(1966/ミケランジェロ・アントニオーニ) |
おはようございます!(^^) 昨日3月10日未明、午前2時~6時にかけて、当ブログを管理する「エキサイト・ブログ(通称exblog)」の緊急メンテナンスでした。 僕は、持ち帰り仕事を0時くらいから片づけながら、当ブログで御披露目させて頂くコンテンツを纏(まと)めることが多いので、 一昨日(3/9)昼間中に件の緊急メンテナンスを見知った時は、 「今日はお披露目は無し!」―と素直に決断した次第です。(^^) いやぁ、よく眠れたぁ~、中々爽快な気分で目覚めました。(^^) ********* ……しかし、実は、 深夜0時前にべッドに入り、一度、ある夢の中で感じた恐怖で目覚めてしまったのです…。 ~以下、夢の中の断片より ―もう、僕は夢など朝目覚めた時に覚えていた例(ためし)は殆どありません。 しかし、稀にベッドに入って一旦目覚めてしまった時などは、 上記のように、夢の中にあった漠としたところを残像として思い起こせることはあったりも…。 ◆◆ さて、夢分析をしている余裕はないので、 ここは一つ、いち“ブロガー”(ブログ運営の道に入り込んだ者(^^))として、 上記夢を形作ったかも知れぬ要因を以下のようにお示しするに留めましょう。 要因1)「放蕩研究所」、その掲示板に於ける美中年さんの熱き書き込み。 (※リンク集よりお入りください) 要因2) TB(トラック・バック)を理解せんと読んでいたアレコレの記事。 例えば、 http://blog.livedoor.jp/kingkunjp/archives/9156652.html#trackback ―他の要因と思われるものは伏せましょう。(笑) ********* ―何にせよ(^^)、“睡眠中に見たはずの夢”とは、僕にとって掴(つか)み取ろうとしても掴み切れた例(ためし)の無いものです、 そして、僕に取って『欲望』という映画もまた夢に似たところが有り、捕らえ切れた例はないのですが、それが故(ゆえ)もあって僕を長く虜(とりこ)にしてやまぬ映画です、以前に纏(まと)めたものを御披露目いたします。 なぜ、トーマスに惹かれ続けるのだろう… ***ネタバレ注意 仮に『欲望』(1966)が夢の映像化なのだとして、これほど“夢”の映像化に在りがちな、いかにも夢か現かを表したような幻影、幻想的な趣の映像が皆無な作品も珍しい。全編、惚れ惚れするほどシャープで力強い映像の連続だ。 ただ、ラストのキャメラの遊離感などは、僕も夢を見る者として、また、時にはそのイメージの断片を反芻する者として“夢”に重なりもして行く映像なのだ。 デヴィッド・ヘミングス扮する映画の主人公、トーマスは若く才気煥発な印象のカメラマン。映画冒頭で、明け方、公共宿舎めいた安宿から吐き出される大勢の労務者風情の男たちに混じって豊かな長髪のブロンドと鋭い眼差しで唯一生気を湛えた印象のトーマスが映し出される。 当てずっぽうかもしれないが、トーマスが公共宿舎を出て、黒いスポーツカーに乗ってアクセルを踏んだ辺りからが夢の始まりなのではないか…。 そう、夢を見ている主人公の実体は宿舎で眠っている。おそらく、トーマスが年齢を重ねた姿がベッドに横たわっている。彼はかつてトーマスに似て感受性が強く、また、熟達のカメラマンであったのではないか。 スタジオ撮影等に於けるトーマスの尋常ならざる自信満々な身振り、一方、狂騒的なパントマイム集団に向ける寛容な眼差しや身振り…この辺りには、ヘミングス(1941年生まれ)が体現するトーマスという20代半ばと思しき若者というよりは、中年、老成に傾いた男のそれを思わせる。加えて、トーマスが仕事仲間と佇(たたず)むレストランで、外の風景を眺めながら「ロンドンはつまらん」などと呟(つぶや)くシーンからは、老いた者にして示せるような哀感や悔恨めいた何かが滲む。 アントニオーニ(1912年生まれ)の『欲望』は、劇中の重要なモチーフを通してジェネレーション・ギャップや価値観の揺らぎを見事に描いた映画でもあると思う。 例えば、 (1)公園で密会するヴァネッサ・レッドグレーヴ扮するミステリアスなヒロインと紳士風情の男との年齢差は親子ほどにも有りそうに見える。 (2)トーマスが初めて“公園”に入った時すれ違う、公園内の紙屑をサーベルに刺して歩くパントマイム師のようにも見える人物は、映画冒頭から劇中何度も唐突に現れて強いインパクトを残す若く狂的なパントマイム集団とは対称的に老いた哀感を漂わせて僕には印象的だ。 (3)トーマスは恋人(?)が友人とセックスしているのを目の当たりにしながら、怒ることも泣く事もできない…。 ―加えて言えば、トーマスの中に熱中、追究といった“若さ”と、時折見せる寛容、哀感が滲み出す“老成”の身振りが同居している点も見逃せない。舞台となるロンドンの風景自体にも、しっとりした古さと、新たな価値観、美意識が混在している。 つまり、(おそらく公共宿舎で夢を見ている)主人公の実体は、若さと老いの美徳が両方一遍に有る状態が望ましいと思っている、あるいはある時点でそう悟った…。その思いが、ある眠りの中で『欲望』というイメージを産み出したのではないか。 いずれにしてもこの映画、 “夢”に似て破格の魅力を湛えた瞬間、映像に溢れている。 トーマスがぶらり訪れた公園で撮った“ジェーンと愛人”の密会。 トーマスのスタジオを探し当てそこに駆け込んできたジェーンは「写真が人目に触れたら自分は苦境に陥ってしまう」とネガの返還を迫る。トーマスはジェーンと不思議なひと時(※詳細省く)を過ごした後、別のネガを彼女に渡す…。 ―ジェーンが去った後、トーマスは件のネガ・フィルムを現像し始める。 トーマスはプリントを眺めながら何か怪しげな影が写っているのに気付き黙して見詰める。 何なのだ…引き伸ばしたプリントを一人眺める、 指を当てて…ジェーンの視線の先の茂みを辿る、 さらにプリントを引き伸ばす。… ―途中から、観客もピストルを持った男が茂みから垣間見えているかのように、そして別のネガから引き伸ばしたプリントには、死体めいたものが植え込み(/茂み)から垣間見えているかのように…トーマスと同時体験的に見えてくる。 だがしかし、目をトーマスのように凝らしても観客にも決定的な姿は見えてこない辺りが“夢”それ自体と似て圧巻なのだ。 ―僕は、この一連の≪現像、引き伸ばし、観察…≫といった、台詞一つない孤独な作業に捧げられたシークエンスからは目を離すことができないのは勿論、いつも身を乗り出して見入ってしまう。 ラスト近く、件のパントマイム集団による見えないボールとラケットでのテニスとそれを穏やかに眺めるトーマスを追うシークエンス。引き伸ばしたネガに見たかったものには答えを出せなかったトーマスは、この“見えないボールでのテニス”のシークエンスでは、観客には見えないファールしたテニス・ボールを拾い、コートに投げ返している。そしてトーマスが姿を消してしまうラスト。公共宿舎のベッドで目覚めた真の主人公は何を失った男だったのだろうか…。うーん、謎は解ききれていない…。そして、なぜ僕がトーマスに惹かれ続けるのかも… 補足) ◆◆本作の音楽担当はハービー・ハンコック。劇中には、ジェフ・ベックとジミー・ペイジ在籍時のザ・ヤードバーズの演奏シーンもあり、僕などは毎回黙して見つめてしまうばかり(―劇中のライブ・ハウスでの演奏シーンに於いても、聴衆の殆どは黙して見つめている…)。 本作のサントラも持っていて損はないように思います、僕など、ペイジとベックのツインリードのスピード感ある名演“Stroll On”(※ しかし、1996年にMGMからサントラが再発されるやMGMタイトル中トップクラスの人気タイトルと相為ったらしい。 兎も角、今や余りにも容易に入手できるのが少々口惜しかったり(^^)。 ◆お詫びと訂正です 上記文中の、ジミー・ペイジに関する件ですが、 この7月に拙エントリーをご覧になってくださった、よねもとさんが本作を再鑑賞の上、「ジミー・ペイジはギターを弾いています。ジェフ・ベックとペイジがギター、ベーシストは他にちゃんといます。ペイジは白のテレキャスをプレイしてます。」とのご指摘を拙エントリーへのコメントの形で残してくださいました、 私めの長年に及ぶ勘違いでした、 件のシーンを先だって再チェックしたところ、よねもとさんのご指摘通りだと判断するしかありません、 お詫びの上、訂正とさせて頂く次第です、 よねもとさん、今回のご指摘に感謝いたします!! (2005年9月8日早朝) |
by oh_darling66
| 2005-03-11 02:50
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