■〔映画鑑賞メモVol.16〕『ディパーテッド』(2006/マーティン・スコセッシ) |
**『ディパーテッド』の鑑賞メモに直接飛ぶ≪→こちら!≫ ―& 第79回アカデミー賞(2月25日)を楽しむ! ◆その2・「映画鑑賞券争奪((^^)・4者によるアカデミー賞6部門受賞予想結果、および、雑感」~監督賞、作品賞篇 ◆その1・「4者によるアカデミー賞6部門受賞予想」篇はこちら! こんにちは、ダーリン/Oh-Wellです。 さて、14日のホワイト・デー、皆さん、如何お過ごしでしたでしょうか。 女性の方々は、あれこれ贈り物を渡した数だけお返しを受けましたか?^^ おそらくは、男性よりも女性の方が楽しい一日だったことでしょう!^^ ―さて...、私め、 この3月は中々エントリーを出来ず仕舞い、また、ウェブ上に遊びに出ることすら中々出来ず仕舞いの少々多忙な日々が続いて居たのですが、昨日中、仕事等々が一山越えたので久々(14日ぶり!)のエントリーをしてみます。 今回は、「第79回アカデミー賞授賞式」でスコセッシに待望のアカデミー監督賞をもたらしたばかりではなく、監督賞、作品賞を含む4部門を制した『ディパーテッド』(2006)の鑑賞メモ≪→直接飛ぶ≫、さらに、当方の予想の的中具合((^^)、セレモニーの録画ヴィデオを鑑賞しての雑感等々を書き残しておきます。 ―尚、「演技賞篇」(※下Phは演技部門受賞者4人。左から、フォレスト・ウィッテカー:主演男優賞受賞、ジェニファー・ハドソン:助演女優賞受賞、ヘレン・ミレン:主演女優賞受賞、アラン・アーキン:助演男優賞受賞)は、或る作品の鑑賞メモと共に後日追ってエントリー致します。 ●●「第79回アカデミー賞受賞予想結果、および、授賞式雑感」~監督賞、作品賞篇 さてさて、「第79回アカデミー賞」、すでに、受賞結果〔◆allcinema ONLINE〕は皆さん御周知のことでしょう。 そう、前回の授賞式を僕なりに一言で言い表わせば「ポール・ハギスという映画人を世に知らしめた授賞式」とでも為るとすれば、今回は、スコセッシに改めて大きな脚光が当たった授賞式とでも言えるものかと素朴に感じました。 今回の各作品のオスカー獲得数を見ると、4部門の『ディパーテッド』が最高、これに次ぐのが3部門の『パンズ・ラビリンス』、さらに、2部門の『リトル・ミス・サンシャイン』、『ドリームガールズ』、『不都合な真実』といった按配で、前回同様に5部門、6部門以上を制するような大勝作品が無かった訳ですが、前回のオスカーのエントリー記事中などでも書いたように、授賞式を眺めている分には一作品が独占して行くよりは余程面白いかと僕は思う次第です。 ともかく、『ディパーテッド』は5部門にノミネートされ「助演男優賞」以外の4部門を制した訳で大健闘かと思いますし、「外国語映画賞」部門を始め「脚本賞」をも含む6部門にノミネートされ3部門(撮影賞、美術賞、メイクアップ賞)を制した『パンズ・ラビリンス』(2006/ギレルモ・デル・トロ)なども大健闘ですよね。今秋の公開が待ち遠しい限りです! また、「作品賞」を含む3部門にノミネートされ2部門(脚本賞、助演男優賞)を制した『リトル・ミス・サンシャイン』(2006/ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス)、ノミネートされた「長編ドキュメンタリー賞」、「歌曲賞」両方を制した『不都合な真実』(2006/デイヴィス・グッゲンハイム)なども僕に取ってそれぞれに印象に残る受賞結果となりました。 そう、『ドリームガールズ』(2006/ビル・コンドン)は6部門8ノミネートで「助演女優賞」「録音賞」の2部門を制した訳ですが、作品関係者にとってはミュージカルで「歌曲賞」を逃した痛恨さは勿論想像に難くないのですが、この部門に自分たちの映画から3曲もがノミネートされてしまったこと自体が既に痛恨であり“ありがた迷惑”であったかもしれませんよね。^^ もう、端的に言えば、3曲に票が割れてしまい、一つの突出は難しくなる訳ですから…。 ビヨンセ〔左〕、ジェニファー・ハドソン ともかく、今回もまた一言では言いくるめられぬ楽しさのあるショー・セレモニー、エンタテイメント・ショーであったと思います! そう、初めてオスカーの司会を担当したエレン・デジェネレス〔◆IMDb◆公式サイト〕も十分にオスカー司会者(ホスト)の責務をまっとうしていたかと僕は思います。 この一大セレモニーにあっては、司会者と言えども、授賞式中の登場回数も、それぞれに費やせる時間も限られている訳ですが、エレンは、各部門の授賞セレモニーの間合いというものにあって、候補者たちに対しては如何にリラックスさせるかという点に於いて、また、参席者一般、視聴者に対しては如何に楽しくショーを先に繋いで行くかということに於いて、繰り返しに為りますが十分に責務を果たしていたと言えるかと思う次第。 ―さて、ここいら辺りで、当方での4人の受賞予想の的中具合を纏(まと)めておきます。 -------------------------------------------------------------------------------------- *6部門の「本命予想」に於いて、 全部門制覇→0人 5部門制覇→0人 4部門制覇→0人 3部門制覇→1人(ダーリン/多摩代表^^) 2部門制覇→1人( juneさん/東京代表) 1部門制覇→1人(Kazさん/石川代表) ★スカ((^^;→(ホームズさん/多摩代表) ―尚、私め、「対抗予想」を含めれば、6部門中5部門で的中を果たしました~! ・・・と、まぁ、一応、言い添えておきます^^ そして、何よりも、御三方の御健闘に感謝! ホームズさんのスカ(=的中ゼロ)は果敢な本命予想の果てのもの。 もう^^、作品賞に『クィーン』、主演男優賞にピーター・オトゥール、助演男優賞にジャイモン・フンスー、さらには、助演女優賞に菊地凛子・・・^^と云った果敢な賭けに等しい((^^;スリリングな予想の数々は目の覚めるような忘れがたいものでした。もう、これ以上と無い面白い本命予想を頂き(笑)、友人として心より感謝しています。そう、次回はスカッと((^^)4部門、5部門くらいはお当てくださることでしょう!!^^ juneさん、Kazさん、ホームズさん、授賞式前に、各部門に候補を出した諸作品を殆ど観れない中での「本命予想」を頂き誠にありがとうございました!! -------------------------------------------------------------------------------------- さて、引き続きましては、監督賞、作品賞の予想結果、受賞結果の雑感、そして、『ディパーテッド』の鑑賞メモを。 >> 「監督賞」の本命予想結果 ◆◆受賞予想、および、結果 ★マーティン・スコセッシ~『ディパーテッド』⇒ダーリン ●この部門は、僕だけが的中。しかし、ホームズさん、Kazさんがイーストウッドを本命に挙げたことには、僕などは密かに心打たれておりました。そう、僕が「対抗」に置いたイーストウッドは、『硫黄島からの手紙』に於ける4部門のノミネート中、自身がオスカー対象となっていた監督賞、作品賞(※スピルバーグ、ロバート・ロレンツと並び、製作者の一人として授賞対象者と為っていた)のいずれも逃した訳ですが、まぁ、今回は分が悪かったということでしょう。 そう、クリント御大ってオスカー受賞に自信がある時はお母様を連れて来ますよね?^^ 今回は、齢95には為るであろう彼女の姿が見当たらなかった時点で、僕などは「今回はスコセッシのオスカー・イヤーと為るのでは...」との予感が走りもしたものです―って、録画で見た時には勿論既に結果を知っていた訳です、はい。^^ しかし、イーストウッドは今回も栄誉有る重責を果たしています。そう、エンニオ・モリコーネ(1928年生)に授与された「アカデミー栄誉賞」に於いて、他に取替えの利かぬプレゼンテーター役を見事に果たしてくれていましたよね!! ★ともかく、この監督賞にあっては、コッポラ、ルーカス、スピルバーグと云ったアメリカ映画界の重鎮たちが登場するやこのセレモニーの興奮は否が応にも高まりましたね。 そう、三人が一頻(ひとしき)り漫才のような遣り取り(―詳細は措きますが、三人の中でもって唯一監督賞の受賞が無いルーカスが自虐的に振舞うさまが秀逸でした^^)を見せてくれた後、候補者の名がイリャニトゥ、スコセッシ、イーストウッド、フリアーズ、グリーングラスの順に告げられて行った訳ですが、自分の名が告げられるまでのスコセッシの目は少々虚ろだったようにも^^見えました。尤も、名が告げられた後にはすぐに壇上の友人たちに向けて人懐っこい笑顔を見せていましたけれども…。 さて、最後の候補者名の発表が終わると、スピルバーグが封筒を開けながら他の二人に「離れて」と言いつつステージ中央のマイクに寄る。そして、スコセッシの名が読み上げられるやルーカスなどひとしきり歓声を挙げ身をそらして拍手。舞台袖に控えるニコルソンも、最前席のディカプリオも満面の笑顔で祝福、ウォールバーグは指笛を吹きながら祝福、イーストウッドも笑顔で祝福の拍手を続ける…、当然、会場全体がこの日一番の拍手と大喝采に包まれる! 壇上に挙がったスコセッシは三人それぞれとひしと抱き合う。「サンキュー、サンキュー、サンキュー、サンキュー、サンキューリック(←リックって誰?^^)」、その後もスタンディング・オベーションを続ける会場の映画人たちにしばらく「サンキュー」を繰り返す。 ―以下、この日のスコセッシのスピーチを(番組中の字幕を頼りに自分なりに解釈できた範囲で)書き残しておきます。 「(※壇上中央に立ったスコセッシがスピルバーグの方を振り返り)もう一度チェックしてくれないか。^^ この栄誉をアカデミーからもらえて、そして、古い親友たちから賞を授与されて本当に光栄です。とてもとても感動している。 (※ワーナー・ブラザーズ映画、グレアム・キング等何人かの製作者、20年来の仕事仲間というジョー・リーディー等々の名を早口で並べた後、)ウィリアム・モナハンのクレイジーな脚本^^が問題作の第一歩でした。そして、アンドリュー・ラウが撮った素晴らしい香港オリジナル版映画、撮影のマイケル・ボールハウス(※日本では、ミヒャエル・バルハウスと表記されることが多い)、ハワード・ショアの素晴らしいスコア、古い親友で編集のセルマ・スクーンメイカー、キャスティングのエレン・ルイス、 亙る親友セルマの受賞スピーチに涙ぐんでいたスコセッシも殊のほか印象的でした。 そして、キャストの皆のお陰だ。ジャック・ニコルソンの閃きにも助けられた(―※ここいら辺、特に良く聞き取れず。スコセッシは非常に早口なのです)。ディカプリオとは6年半一緒にやって来た。今後も12年、15年一緒にやろうな(―レオ、笑顔で頷く)。そして、マーク・ウォールバーグ、マット・デイモン、アレック・ボールドウィン、レイ・ウィンストン、ヴェラ・ファミーガ、マーティン・シーンにも感謝します。 長年に亙って私の受賞を願ってくれた人たちがいます。街中でも病院でもエレベーターでも見知らぬ人が声を掛けて来てくれた。「いつか獲れるよ」と言ってくれた人たち、ありがとう。長年の友人たちと今夜会場に居る友人たち家族にもこの賞を捧げたい。(―そして、妻子の名を挙げて行き、)TVで観ている7歳のフランチェスカ、あと10分我慢したら騒いでいいよ。明朝会おう。サンキュー!」 今回のこの授賞セレモニー、スコセッシと云う映画監督の人徳というか、如何にアメリカ本国では一般の映画ファンからのみならず、多くの俳優、映画人たちに敬愛されて来たかと云ったところが良く見て取れるかと思います。これまで過去5回受賞出来なかったのは、この才能ある監督にこの映画でオスカーをあげて良いのかなという深謀遠慮のよう意識がアカデミー会員たちの多くに常に働いていた結果なのかも知れないと僕は思う次第です。まぁ、人それぞれ解釈はさまざまでしょう。^^ >> そして、「作品賞」の本命予想の当落^^です! ◆◆受賞予想、および、結果 ★『ディパーテッド』(マーティン・スコセッシ)⇒Kazさん ジャック・ニコルソンとダイアン・キートン ●この作品賞部門の4人の本命予想は見事に^^4通りに分かれた訳ですが、ただ一人、Kazさんだけが見事に的中!! 僕は、勿論^^「対抗」で推していました。 そう、僕が「本命」に挙げた『硫黄島からの手紙』はノミネートされた4部門中「音響効果賞」のみの受賞ではあったものの、まずもって、現在最高のアメリカ人映画監督の一人と言えようイーストウッドによって、ほぼ全てのキャストが日本人、ほぼ全篇日本語、ほぼ日本側の視点に寄って描かれた映画が作品賞候補5つに残ったことだけでも大きな意義があると思います。 そう、僕はアカデミー賞作品賞を獲得した作品がその年のアメリカ映画の最上の一本となることはまず有り得ないと思います。それでも、アメリカのその年一年間の賞セレモニーの最後である「アカデミー賞」作品賞にノミネートされる5本の映画、そして、作品賞の栄誉に輝く映画は、決して侮れない大きな力、魅惑を持つものと僕は思っています。 今回作品賞の栄誉に輝いた『ディパーテッド』ですが、日本などでは賛否見事に別れるものの、アメリカ本国では観客にも批評家にも至って好意的、熱狂的に受け入れられているかと思えますし、それこそ『硫黄島からの手紙』のように日本の映画界では今後も中々作れそうも無い作品、また、小品ながら新味有る家族ドラマ、ロード・ムーヴィーとも言えよう『リトル・ミス・サンシャイン』と云った、二つのオリジナルな輝きを誇るアメリカ映画もある中で『ディパーテッド』にアカデミー会員たちの票が最も多く投じられたことは、少なくともスコセッシへの功労賞的意味合いであるなどと云ったこととは別の意味合いを僕なりには見い出せる次第。 つまりは、香港映画『インファナル・アフェア』(2002/アンドリュー・ラウ、アラン・マック)のリメイクではあっても、おそらくは、スコセッシのパワフルな演出力を見て取れる上に新味有るスコセッシ映画として、パワフルかつ面白いエンタテイメント・ムーヴィーとして、『ディパーテッド』という映画が多くのアカデミー会員の心を捉えたのだろうと僕なりには受け止めています。 ★うん、兎も角、ここは是非ともニコルソンが作品賞受賞作に『ディパーテッド』の名を発した瞬間の驚きを生中継で味わいたかったですねぇ…。もう、録画で観ていてすら、ニコルソンとダイアン・キートンがプレゼンターとして登場してから発表されるまでの時間は目を瞠りどきどきしてしまいますから、尚更、生中継で観れていたらと後悔してしまいますねぇ...^^ そう、発表直後のダイアン・キートンの大きな歓声がとても印象的でしたね、そして、舞台袖に居るスコセッシは驚いて少し固まっているように見えましたが^^、スピルバーグと抱き合ってからようやく受賞の実感を持てていたように見て取れました。ステージ上のニコルソンの御満悦の笑顔、候補者席のウォールバーグ、ディカプリオ等々作品関係者の喜びの爆発も、会場の大歓声も、授賞式を締め括るのに相応しい光景だったと思います! ―それでは、ここいら辺りで、第79回アカデミー賞で作品賞、監督賞を含む4部門(作品賞、監督賞、編集賞、脚色賞)を受賞した『ディパーテッド』の鑑賞メモを残しておきます。 本作『ディパーテッド』は、スコセッシに取って『アビエイター』(2004)以来2年ぶりとなる劇映画監督作品であり、210分にも及ぶTV用長編ドキュメンタリー『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』(2005)に次ぐ監督作品。 僕は、まずは、これまでのスコセッシに無いタイプの新味あるパワフルかつ良質なプログラム・ピクチャー的エンタテイメント・ムーヴィー、クライム・サスペンス・ムーヴィー(―この点に関わって来そうなスコセッシ自身の発言として、「『ディパーテッド』はプログラム・ピクチャー、B級映画のような精神で撮った」「自分は、これまで、プロットに重きを置いた映画を作って来なかったが、今回の映画のようなサスペンス・スリラーに於いて傑作を作ってきたドン・シーゲル、バッド・ベティカー、アンソニー・マンといった1950年代のアメリカB級映画の監督たちに対して、改めて尊敬の念が深まった」等が挙げられるかと思います。)として好意的に受け止めています。 スコセッシはそれこそ様々な葛藤の上に本作『ディパーテッド』の製作に着手〔◆eiga.com〕したとは言え、パワフルな創造意欲、映画造形、キャラクター造形でもって、少々粗い脚本にある以上のものを成し遂げ、ここ数年来出色のクライム・エンタテイメント・ムーヴィーの一つをものにしたと僕は思う次第です。 本作は言うまでも無く、『インファナル・アフェア(2002/アンドリュー・ラウ、アラン・マック)』〔※下Ph〕のハリウッド資本による大型リメイク作品として公開前から多大なる注目を集めて来た作品であり、実際にアメリカ本国にあっては公開以来可也り熱狂的に受け入れられているかと僕など見て取れるのですが、 ともかく、僕は、オリジナルとの比較をしながらでは無く、出来るだけ純粋に「スコセッシの新作映画として」享受しようと思いつつ初鑑賞に挑んだ次第。 そして、実際に目の当たりにした本作は、僕に取っては、これまでのスコセッシ映画に無いダイレクトな面白さを享受出来る「物凄く面白いスコセッシ映画」と言えるものでした。 今、『ディパーテッド』にあって印象的なものとしてまず思い浮かぶのは、オリジナルの出色のプロットを活かしつつも、オリジナルに見て取れた生死観、世界観(―「生」の苛酷さを示しての「無間地獄」という云わば仏の悟りたるところを背景にしての生死観、世界観)とは異なる別の生死観、価値観が見て取れ感じ取れたこと。 それは、例えば一つには、マドリンというヒロイン(ヴェラ・ファミーガ/Vera Farmiga)が映画後半で「死は苛酷だわ。生きる方が楽よ」と恋人に口にするように、オリジナルの生死観(死生観)とは真逆なものとしても示されていたかと思います。 ともかく、『ディパーテッド』には互いに相容れぬ二つの生、つまり、映画冒頭のシークェンス中で“Non Serviam(私は神に仕えない)”と幼き日のコリン(=成人後のコリンはマット・デイモンによって演じられる)に口にする、ボストン南部地区を縄張りとするアイリッシュ・ギャングたるフランク・コステロ(ジャック・ニコルソン)に象徴される「神(アイルランド系カソリック)を捨てた者たち」の生と、 コステロ率いるアイリッシュ・ギャング組織にマサチューセッツ州警察極秘捜査班の潜入捜査官(―ギャング側にとってはネズミ)として送り込まれ、内なる正義、良心、モラル、信仰との葛藤に苦悩し続け、死に怯え続けながらも犯罪に加担して行くしかないビリー(レオナルド・ディカプリオ)、また、マドリン、そして、ビリーをコステロ一味の中に極秘潜入捜査官として送り込む警部であり、職務熱心で信仰深いキャラクターとして描かれるクイーナン(マーティン・シーン)などに見て取れる「モラルを失わずにいる者たち」の生が示されていたかと思い起こします。 神に背いた者の象徴、地上の悪魔たるフランク・コステロ、そして、コステロと幼き日に出会い神を捨てコステロの庇護の元に法律学校と警察学校に通い、警察学校卒業後はマサチューセッツ州警察に入署しコステロへの情報提供者(―警察側からすればネズミ)と為る悪魔の息子たるコリン、この偽り、エゴ、強欲に満ちた生を生きる二人にあっては、罪を犯し続ける上で基本的に苦悩は生じない。 一方、自分の良心、モラルに背き続けることに苦しみ、死に怯えながらも潜入捜査から抜け出せないビリーの生は苛酷そのものに見て取れる。 そして、コステロとコリンの死もビリーの死も唐突に訪れる訳ですが、ビリーはまったく文字通りに呆気なく命を落とし、コステロやコリンは束の間にせよ死を受け入れる余地を持てていたかと見て取れる。そして、この二人を失ったマドリンに取っては、確かに、「死は苛酷」である訳なのですが、「生きる方が楽」というよりは、映画の終盤にあってはお腹に男の子が宿ってもいるマドリンに取っては最早「生きなければならない」と云うことにも為るのでしょう。 つまり、本作は主人公たちの死を通して、苛酷な生も楽な生も、苛酷な死も安らかな死も、本人のみが引き寄せる結果に過ぎないと映画は諭しているのかもしれませんし、端的に、カソリック(神)に於ける世界観と云うものは生も死も苛酷なもの故に、神と共にあることでしか肉体/魂の平安は得られぬと云うところを示したものなのかもしれません。 ともかく、スコセッシが語るところの「信頼と裏切りをテーマにした物語」が描かれ、これもスコセッシが語っているように、モラルが崩壊した今の(アメリカ)社会を反映していると確かに言い得るであろう『ディパーテッド』という映画は、それを観念的にでは無く、映画の醍醐味である魅惑的なショットと音、音楽が一体となっての心掻き立てる画面、その繋がりとしての映画時間の中に、まずは、体感させてくれるものだったように思い起こしもします。 そう、結局は、ウィリアム・モナハンによる脚色台本が少々粗いものであるにせよ、スコセッシがそこにオリジナルの持つ卓越したプロットを見て取り、さらには、モナハンによってボストンを舞台にしたアイルランド系カソリックを背景に持つアメリカ人の物語に換骨奪胎された世界に危険な匂いを嗅ぎ取りながらも抗い難く魅了され監督を請け負うことと為り、結果的には、スコセッシが多彩な俳優と、そして、カメラ、プロダクション・デザイン、編集、音楽等々に気心の知れた実力派を擁して脚本以上のものを目指し、持てる創意、演出を尽くし、俳優たちからはパワフルな演技を引き出し魅惑的なキャラクターを成し得、スタッフからも最良の仕事を引き出しつつ殺伐と哀調が綯い合わさった映画の肌理を作り重層的なダイナミズムを加え得たことこそスコセッシの底力であり、つまりは、俳優たち、カメラ、編集、音楽を始めとするスタッフから存分に力を引き出した一大成果が『ディパーテッド』という作品なのでしょう。 個々のシーンを忘れがたいものとするミヒャエル・バルハウスによる屋内外の撮影、カメラワーク、152分に及ぶ映画時間の緊迫を殺(そ)がぬセルマ・スクーンメイカーの編集、さらには、重厚、悲痛、繊細の相俟つオリジナル・スコアをベースに、1950年代から現在までに及ぶポップス、Rock、更には、オペラ、伝統的アイリッシュ音楽にまで及ぶ多様な楽曲を綯い合わせたハワード・ショアのスコア・メイクと音楽演出、これらが相伴って重層的に悲哀、痛切、不穏が紡がれて行く映画時間は抗い難く僕を視(聴)覚的に魅了させてくれるものでした。 劇中の主要キャラクター個々の映画上の説得力もひしと感じ取れました。 ボストン南部地区を牛耳るアイリッシュ・ギャング組織の大ボスたるフランク・コステロの狂気とカリスマ性を合わせ持つ“地上の悪魔”そのものと言うに相応しい下劣、傲慢、貪欲、横暴な禍々しいキャラクター性は、ニコルソンの破格の存在感、アクの強い演技によって本作の強烈な求心力となっていましたし、 レオナルド・ディカプリオ扮するビリー・コスティガン、そして、マット・デイモン扮するコリン・サリバン両者に見て取れる、云わば、同じボストン南部で生まれた者ながら「お互いが一枚のコインの裏表」の如しに互いに触れ合えぬ(相容れぬ)二つのキャラクターの描き分けも見事なものだったと言えるでしょう。 ビリーにあっての純粋さも良心も持ちながら幼少の頃から悲しみ、苦しみから逃れられぬキャラクター性は、コステロ一味に潜入捜査官として身を投じ何時そこから開放されるか知れぬ葛藤、苛立ちの中でいよいよ明瞭になって行く…。そして、コリン・サリバンという悪魔の息子の如し憎まれ役にあって、そこからじわり垣間見えてくるコリンの本質的孤独とでも云ったものも見逃せないかと思います。 この三者に加えて、 マサチューセッツ州警察・特別捜査課(SIU)主任警部のエラービー(アレック・ボールドウィン)は、この要職にあって一見それに相応しい有能さと器量を感じさせはするものの、例えば、部下に口にする「煙草は吸わないのか、この健康オタクめ」やら、シモネタやら、気を利かせているようで不愉快でもある^^言葉の数々から、また、コステロ一味と中国人ギャングの間での「巡航ミサイル用のマイクロ・プロセッサーの取り引き」の際にコステロ逮捕が失敗に終わるや、隠しカメラの設置をミスした男に感情的に掴み掛かったりと云った振る舞い等々から、底が浅い人間性を露呈させてしまうように、少々思慮深さに欠ける警察人間として描かれていたかと思いますし、 一方、マサチューセッツ州警察・特別捜査課(SIU)警部であり、極秘捜査班を率いるクイーナン(マーティン・シーン|※下Ph左端)は、生来の善良性、正義感、慈悲深さを言動に物腰に静かに滲ませながら、情には溺れぬ強さを持つキャラクター、思慮深さを持つ警察人間として描かれていたかと思います。 さらには、紅一点となる精神科医のマドリン(ヴェラ・ファミーガ/Vera Farmiga)はビリー、コリンの二人に愛される女性として、派手さは無いが清楚な美貌と社会公共福祉に価値を見い出す高潔さを持った女性キャラクターとして描かれる訳ですが、 一つには、コリンとビリーにある聡明さと通じ合い、また、荒んで打算的な世界に生きるコリンとビリーの二人に取っては、彼女の云わば無償の奉仕精神、清潔さ高潔さとでもいったものに自ずと惹かれて行くという部分にあって、ヴェラ・ファミーガの存在感、演技は過不足の無い説得力があったと思います。 そう、コリンと一緒に生活を始めるために自宅の荷造りをしているマドリンのもとを真夜中にビリーが訪れるシークェンスは二人のラブ・シーンで締め括られている訳ですが、ここは、初鑑賞の際には、脚本、演出双方に少々ぎこちなさを感じていたものですが、再鑑賞の際には、このぎこちなさをこそ演出したものと僕なりに了解が行きました。 ―そして、本作にあって、殊更に出色なものと僕が受け止めたキャラクターこそは、マーク・ウォールバーグ扮する、極秘捜査班を率いるクイーナンの片腕の部下であるディグナムSIU巡査部長。 ビリーに潜入捜査官としての任務を承諾させる際の同じアイリッシュ(―劇中では特にそれが示されてはいませんが、ビリーへの「親友として教えてやろう」という言葉にもアイリッシュを見て取って良いかと思います)としての憐れみを押し隠しつつの計算ずくの口汚い挑発、これは、一方のコリンに向ける純粋な憎悪、憤りからの敵視の表情、姿との差異がウォールバーグよって見事に演じ分けられていて、鑑賞後に顧みれば、この部分こそは、本作のエンディングに繋がる最たる伏線にもなっていたことに素朴に思い至ります。 最後に、そう、レオナルド・ディカプリオ(1974年生)について書きとめておきたいと思います。 僕は『ディパーテッド』に於けるディカプリオの演技には改めて特異さを、そして、これまでに無く、稀有なフィルム・アクターぶりを感じました。僕は、彼にあっては、これほど未完成なまま、成熟、洗練とは程遠いままに、多くの人をどこか虜にする俳優も稀有なものといつも感じています。 そう、本作に於いても、20代半ばほどの警官、チンピラを演じて何ら違和感は無い事などには最早驚きも無いのですが、文字通り、その、怒り、憤り、葛藤を表す際の形相、身振り手振りには今更ながらに特異な大仰さを感じました。 例えば、本作『ディパーテッド』がサイレント映画であったとしても、彼のここでの演技、表情、姿というものは、その感情表出が大仰な形を取り勝ちな故にとても映えるのでは無いかと思えなどします…。適度な字幕(※それこそ、サイレント映画の字幕を思い起こされたし^^)だけで十分彼(か)のキャラクターの感情、思考、ひいては、キャラクター性というものが伝わるのではないかとすら思えもします…。 そして、さまざまな感情、ことに沸々とした激情が独自の表情、姿形、動きに迸(ほとばし)り出るこのディカプリオ=ビリーの姿、存在こそが、コステロに扮したニコルソンにも匹敵する映画の求心力となっていたように、今、思いが及んでもいます。 〔当ブログ内の関連記事〕 >>本作を含むスコセッシ映画のスコア、楽曲関連 ■〔映画雑談Vol.32〕マーティン・スコセッシ関連覚え書き―その2(音楽篇) 〔※本エントリーは、以下のサイトともリンク中〕 ** ディパーテッド@映画生活 さて、今回はここまでにてお仕舞いとします。 尚、当方でアカデミー授賞式前にお示した「演技部門」での受賞予想の結果等の雑感は、後日、或る映画の鑑賞メモと一緒にエントリーしたいと思います。 ―それでは、皆さん、良き週末を!! |
by oh_darling66
| 2007-03-17 06:28
| ■映画鑑賞メモ/鑑賞プチ・メモ
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