■〔映画鑑賞メモVol.15〕『イカとクジラ』(2005/ノア・バームバック) |
―& デヴィッド・リンチ監督最新作“Inland Empire”(2006)の予告編登場≪→直接飛ぶ≫ ◆◆エントリー内参照(Rock関連)・・・ピンク・フロイド「ヘイ・ユー」、ルー・リード「ストリート・ハッスル」≪→こちら≫、ピンク・フロイド≪→こちら≫ こんばんは、ダーリン/Oh-Wellです。 さて、12月17日・日曜日、ここ東京は朝から晴天で、家の中でも外出中にあっても過ごし易い一日でした。 忙しないばかりの師走真っ只中ですが、昨日、今日で片付いたことが有ります。 まぁ、一つはXマス・ディナーの予約なのですが、今年のイヴは日曜という事もあって予約の埋まり具合が例年よりも早いようですね。わが家も良いタイミングで予約を取れ、まずは、ほっと安堵している次第です。 そして、今日の日中は、そのXマスのプレゼントを含めた幾つかの、やや^^大きな買い物を済ませました。まぁ、ほぼ予算内で買い物が納まり、これまた、ほっと安堵できている次第です。^^ ―さて、それはそれとして(笑)、 今回は、12月2日の公開初日に新宿で鑑賞した『イカとクジラ(2005/ノア・バームバック)』〔◆IMDb◆Movie Walker〕の鑑賞メモを残しておきます。 ※ネタバレ注意 映画は、バークマン一家がパパ組(パパと長男)とママ組(ママと次男)に分かれてのテニスから始まる。一人一人のプレーヤー、殊に、パパは相手チームを負かそうと真剣で、ママもしかと受けて立っているように見て取れる。しかし、パパとママの闘争心はゲーム自体の充実、良い意味合いでの白熱には繋がらない。荒々しくヒリヒリと殺気立った雰囲気が迸っているばかりなのだ。 パパは最も険悪なプレーヤーに見える。ママのぎりぎり入ったかにも見えたリターンをすかさず「長い」と言い、ママが「入ったわよ」と言い返すも冷淡に「出たよ」と決め付けて聞き入れない。長男には「ママの弱点を責めろ、バック・ハンドだ」との指示を告げ、自身がサーブをしくじるや心底悔しそうに「フ***!」と吐き捨て、ママに「暴言禁止よ!」と諌められる。パパのボレーやフォア・ハンドのリターンはママを荒々しく襲う。そんな中、ママとパパは言い争いとなり、ゲームは決着のつかぬまま終ってしまう…。 家族4人が乗った帰りの車中、この映画の舞台設定が1986年のパークスロープ(NY、ブルックリン)であることが説明字幕で示される。 その後、映画は家族の夕食風景を示す。16歳の長男・ウォルト(ジェス・アイゼンバーグ/Jesse Eisenberg)が「授業で『二都物語』を教わった」とでも口にすると、父親(ジェフ・ダニエルズ)が「ディケンズ作品としては二流だ。『大いなる遺産』や『デイヴィッド・コッパーフィールド』が良い」などと息子に教え、息子は成る程と云った按配に頷く。母親(ローラ・リニー)は、「まず、自分で読まなきゃね」と長男に諭すも、ウォルトは「時間の無駄だよ」と言い返す。そんな中、12歳の次男・フランク(オーウェン・クライン)は無邪気にカシューナッツを鼻の穴に突っ込んだりもしている…。 翌朝、兄弟が学校に向かう道すがら、弟が「ママの小説はいつ出るの?」「パパとママはどっちが上?」などと訪ねると、兄は「パパの方がずっと上だよ」などと答える。 その日の午後…、次男・フランクがテニスのレッスンを受けている。コーチは世界プロ・ランク402位だかのアイヴァン(ウィリアム・ボールドウィン)だ。フランクはアイヴァンから片手でのバック・ハンドを注意される。アイヴァンに誰から教わったのか尋ねられたフランクは父親から教わったと明かす。その後、アイヴァンと父親が激しくボールを打ち合う。 そして、帰りの車中、フランクは父親から「将来の夢は?」と聞かれ「プロになる」と口にする。もっとも、アイヴァンのようなテニス・コーチを夢見ているようなのだが…。そして、フランクはクルマが赤信号で止まった際に、クルマを降りてしまう。 冒頭のテニスから、夕食場面を経て、その翌日の描写…これらのシークェンスは淡々としながらもスピーディーさを持って示され、また、家族それぞれのキャラクター性が既によく示されている。 映画は、この後、ウォルトが学園祭の音楽コンテストのためにピンク・フロイドのアルバム『ザ・ウォール』〔◆Amazon.com〕中の一曲“Hey You”のコピーに励み出し、両親の前で最初のお披露目をするシーンを示し、また、父親が講師を勤める大学での授業シーン(―ウォルトもハイスクールの生徒ながら時おり聴講している)へ。この授業の後のクルマでの帰宅途中、父親とウォルトは街中で妻/母親が男と親しげに寄り添い何やらお喋りを交わしている光景を目撃する。 その夜、夫婦は激しく言い争い、翌朝、父親は子供たちに「家族会議がある。真っ直ぐに帰宅しろ」と告げる。おそらく、子供たちは、これまでにも、母の浮気による両親の諍いを時おり身近にしていたのだろう。そして、愈々只ならぬ事態と為ったことを兄弟はそれぞれに悟ったのだろう…。それは、この日、通学途中も学校内でも不安な面持でいる彼らの姿にじわり感じ取れるものだった。 ほどなくして、「家族会議」の場で父親から子供たちに夫婦の離婚が告げられるに至り、兄弟はこれまでの家と父親が新たに見つけたアパートを行き来することと相成る。 この、親子4人個々の、繊細な感情を持ちながらもそれぞれに身勝手でもあるキャラクターたちの織り成す悲喜劇が紡がれて行くドラマは、要所要所にひりひりするような刺激を織り交ぜながらも総じて言えば呆気羅漢としたようなライトさに収まってもいるような部分が得がたい持ち味、美徳に感じ取れ、また、この親子4人の零度に為り切らない温度感が妙に愛おしいものとして僕の内に入って来るような実に妙味な家族ドラマであった。 ジェフ・ダニエルズ、ローラ・リニーによって演じられるバーナード、ジョーンの作家夫婦/元夫婦は、個々それぞれに大人、親としての思慮深さに欠ける言動が多々見て取れるものの、最終的には愛すべき人間としての資質を持ったキャラクターであることが十分に伝わって来るものであり、 ジェス・アイゼンバーグ扮する長男ウォルト、オーウェン・クライン(※1991年生まれ。あの、ケヴィン・クラインとフィービー・ケイツ夫妻の長男! 本作での、喜怒哀楽それぞれの表情が明瞭で映画栄えのする存在感には終始目を瞠らされた)扮する次男フランクのそれぞれに見て取れる、両親の離婚によって抱えて行く葛藤の示しようを含めたスクリーン上の演技と存在感の目映さはこの映画に文字通り新鮮な煌めきをもたらしていたように思う。 さらには、ウィリアム・ボールドウィン(※下Ph右)扮する、次男のテニス・コーチである“アイヴァン”の、その、顔つき、物腰からして緩さに一貫しつつも、何事に於いても気張らず欲張らず他者を傷つけることのないキャラクター性、 そして、アンナ・パキン(※上Ph右)によって演じられる、パパの家にちゃっかりと居候することに成功するバーナードの大学での教え子“リリー”に於ける、健康的なセクシーさと小悪魔的なセックス・アピールが相俟つ女性性などは、この家族のドラマに過不足無く絡みつつ、映画の内に外に於ける艶と膨らみをもたらしていたように思う。 また、時代設定が置かれる1986年ほどというものの説得力を備えた魅惑的なカラーと肌理(―粒子がやや粗く柔らかな印象のカラー)を持つ映像、そして、劇中にさまざまな形で流れる音楽は実に魅惑的なものだった。 音楽に於いては、例えば、ピンク・フロイド、ルー・リード、ブライアン・アダムス、カーズなどのRock、殊に、先述したピンク・フロイドの“Hey You”〔◆LYRICSFREAK(歌詞)〕の劇中での活かされ方、また、エンディングからエンディング・クレジットに跨って流れるルー・リードの“Street Hassle”〔◆LYRICSFREAK(歌詞)〕が醸し出す清々しい昂揚感などは、映画中に紡がれたドラマ性、迸る感情を忘れがたいものとして余り有る。 ともかく、“Hey You”を扱った幾つかのシーンによって構成され決着して行くエピソード・シークェンスは、この映画中の一つの肝とすら為っていよう。 彼(か)の名曲の繊細かつ叙情的な旋律と他者への悲痛な呼び掛けが紡がれた歌詞が醸し出す、一つには、ピンク・フロイドの楽曲ならではの繊細さと大仰さが相俟つものと、そして、本作に描かれる家族分裂の悲喜劇性にある繊細さと荒々しさが相半ばして醸し出されて行く肌理、空気感とは相絶ちがたく融合していたように思う。 そして、映画好きの父親、長男が口にしたり、家の中のポスターにある映画(―詳細は省くが、父親と長男らが『ショート・サーキット』の代わりに映画館で観ることとなる、デヴィッド・リンチが1986年に発表した『ブルー・ベルベット』のスクリーン映像のインパクトは、その引用された場面にある二人の女優が泣き叫ぶエキセントリックなまでに強烈な姿、表情のインパクトと相俟って至極強烈なものだった)の魅惑、 さらには、登場人物が口にする1970年代から1980年代に架けて大活躍したボルグ、マッケンロー、コナーズ、ナスターゼと云った往年のスター・テニス・プレーヤーたちの名、また、往年の映画スター(一つには、モニカ・ヴィッティ!)の名の響きが喚起するもの、 加えて、カフカ、フィッツジェラルド、果ては、父親が病院で暇つぶしに読むことと為るエルモア・レナード(※既に映画化も為されている『アウト・オブ・サイト』、『ゲット・ショーティ』などの著作がある)と云った大衆ミステリーまでに至るさまざまな作家、書物の名、 さらに、この映画のストリート性というか、パークスロープという街自体を忘れがたいものとしていたものの一つとして、玄関から路上に逃げた猫を追いかけ掴まえようとした父親が突如路上に倒れ込んでしまい、救急車で運ばれて行く際に仰向けに為ったまま元妻に身振りで示す『勝手にしやがれ』(1959/ゴダール)のエンディングでの一場面がある。 ―そう、これらは、この映画にある時代の空気感、色合いを醸成しつつ、それらの融合が、この映画独自の肌理を作っていたように思う。 今、本作をひと続きに顧みた際に、僕に取って本作の最たる求心力としてあったのは、ハイスクールに通う長男“ウォルト”のキャラクターだったかと思える。 しがない大学講師に甘んじてはいるものの、かつては、世に知られる幾つかの著作を残した父親を敬愛するウォルト、その、一見理性的で何ものにも動じないようでありながら、どこか危うげで不安定なキャラクター性は、両親の離婚後、特に、母親を含む「女性」との関わりに於いて徐々に顕わになって見て取れて行くものだった。 ウォルトにあっての、云わば、浮気性な母親への嫌悪、反発心は、化学の授業でお喋りを交わしてから親密に為って行くソフィー(ヘイリー・ファイファー/Halley Feiffer)、父親のアパートに居候を始めたリリーの間を揺れ動きつつ、さらには、密かに思いを寄せ続けているクラスメート(同級生?)がいる形の中によく見て取れて行くものだった。一つには、結局は、母親と同様に異性に気が多いのだが、また、父親から「(ソフィーとは)一度は寝てみろ」などと諭されているにも関わらず^^、結局は、三人の女性のいずれとも肉体関係を持つまでには至らないのだ。 一方、ウォルトにあっての父親と似た資質の立ち表れようも印象深い。 既に上述したように、ウォルトは学園祭の音楽コンテストのために、“Hey You”のコピーに励み出す訳だが、そう、ウォルトはギターと歌の練習の成果を、まずは、両親の前でお披露目(※ウォルトの隣では弟が一緒に歌う)しやんやの拍手を浴びる。父親に「自作か?」と尋ねられ、ウォルトは「ああ」と悪びれること無く即答。父親は「これを受け入れない大衆は馬鹿だ」などと、相変わらず尊大な言い方ながらも息子を誉め讃え、母親はもう満面に笑みを浮かべるばかり。そして、愈々学園祭の音楽コンテストでも臆面も無く「自作の曲を演奏し歌います」などと口にしてから“Hey You”を弾き語り、両親、ガール・フレンドを含む聴衆を聴き入らせ魅了……(中略)……ともかく、目出度く優勝と100ドルの賞金をせしめてしまう。 そんなウォルトにもしっぺ返しがやってくる。後日「盗作」が学校側にばれてしまい、両親が学校に呼び出され(―ここ、両親が担当教師からCDカセットでそれを聴かされ注意を受ける教室のシーンでの、ダニエルズ扮する父親がこの2枚組み26曲からなるCDアルバムの8つ折り(?)ほどにもなる歌詞カードを漫然と広げていたりする姿などもじわり妙味だった)、さらには、学校側の指導でセラピーに通わされることと為る。尤も、当のウォルトはセラピーの場でも「僕が書ける詩が先に書かれただけ」と不遜な言葉を口にし反省のそぶりすら見せない訳なのだが…。 さて、そんなウォルトは、このセラピーの場で「小さい頃の楽しい思い出は?」と尋ねられるや、不意に、6歳の頃に母親とパーティーを抜け出してエロール・フリン主演の『ロビン・フッド』(1938)を映画館で一緒に観たこと、アメリカ自然史博物館でダイオウイカとマッコウクジラが深海で格闘しているさまを模した巨大なジオラマ(=立体模型)を観に行ったが怖くて堪らず手の隙間から垣間見るにとどまったこと、しかし、帰宅してからダイオウイカとマッコウクジラの格闘について母親と話している内に恐怖は消えて行ったことなどを語り出し、自身の幼き日々には執筆で多忙な父親には相手をしてもらうことは無く、母親こそが自分の身近に居てくれた存在だったことに気づいて行く…。 この場面も含め、本作には、親子4人のここまでの歳月と云うものが要所要所に滲み出て来、垣間見えて来る。それらは観客の心をさまざまに掻き立て、少なからぬ者の胸を衝くものともなるだろう。 本作の圧巻部は、ウォルトが父親のアパートでリリーと父親が洗面所で抱き合う姿を目の当たりにしてしまいそこを飛び出してからエンディングに至るまでの波乱続きの濃密な一大クライマックスにあるかと思う。 父親のアパートを飛び出たウォルトは街をさまよい、中華レストランでソフィーが家族とがランチを取っているのを呆然と眺め、果ては公園の池に…と、取り返しのつかぬところへと繋がって行くかのような展開と相成って行く。 しかし、結局は、ウォルトは池で「頭だけ濡らして」母親の家に戻って来る。 ウォルトは母親に「ソフィーと別れた。自分がこんな状況に居るなんて納得できない」と悲痛に叫び、さらに、「パパを愛してた?」「昔、一緒に『ロビン・フッド』を観たこと覚えてる?」などと感情迸るままに立て続けにママに問う…。 そこに、飛び出して行った息子を探していた父親が飛び込んで来、久々に元の家に親子4人が顔を揃えることと為る。 父親は「もっと4人で過ごせないか?」と元妻に口にするも、結局、二人は言い争いに為ってしまい、父親と長男は父親のアパートに戻るために此処を出て行くことと為る。 父親とウォルトが母親の家から出て行く際、フランクがウォルトに猫を渡そうとする。しかし、猫はウォルトの腕に納まらずに路上に逃げ出してしまう。父親がすかさず路上に飛び出して行き、クルマの下に逃げ込んだ猫を捕まえようとするのだが、急に胸を押さえ込んで倒れてしまう。 翌日、ウォルトが病院に父親を見舞う。ウォルトが「ずっとママの家に行くのをすっぽかして来たから、これから当分の間はママの家に居ることにするよ」と口にすると、父親は寂しそうに「俺の所に居てくれ」と…。そして、ウォルトは突然泣き出してしまう。しばらく会話を交わした後、父親がウォルトに「朝食がまだ済んでいなかった。看護婦を呼んで来てくれ、モニカ・ヴィッティ似のブロンドがいい」と頼む。ウォルトは早速病室の外に出て、最初に目に留めたアジア系の看護婦に父親の用件を告げるや、唐突に、廊下を走り出し、病棟の受付(―ウォルトが受付を通り過ぎる際に、まさしく、そのやや赤毛っぽいブロンドのヘアーも含めてモニカ・ヴィッティ似の女性がチラと映る!)を過ぎ階段を降り、病院を出、公園沿いを走り抜け、6歳の頃にママと訪れた件(くだん)のアメリカ自然史博物館に。ここで、嘗(かつ)ては怖くて正面から見据えることが出来なかった、マッコウクジラとダイオウイカが格闘するジオラマ模型に近づいて行き、クジラがイカに喰らいつかんとし、一方、イカがその触手をクジラの頭部に巻きつけ必死に抵抗している部分をしかと見つめる。 ここでの、幼い日には怖くてたまらず直視できなかったものと初めて一人で向き合う姿には、自力でこれからの人生を掴み取って行こうとするウォルトの決意が垣間見れると同時に、ウォルトは父親と母親を改めて同等に受け入れて行くのではないかとの思いが僕の内に湧き起こりもした。そして、この映画時間の最後を締めくくるものとしてある、その、しかと巨大なジオラマ模型を見据えた表情と姿からは、思わぬ高揚感とカタルシスを同時に得られた。 補足) エントリー中でも触れたように、本作『イカとクジラ』劇中でインパクトある映像が使われている『ブルー・ベルベット』(※下Ph)の監督は、言わずもがな、デヴィッド・リンチ。 その最新作となるのが“Inland Empire(2006)”〔◆IMDb◆当ブログ内の関連エントリー〕。先頃、その予告編(YouTube)がいよいよ登場しましたネ! http://www.youtube.com/watch?v=y4hFEDYmMcM (YouTube) 〔当ブログ内の関連記事〕 ◆◇「2006年度新作公開映画ベスト20~ダーリン/Oh-Well篇」 >>ウェス・アンダーソン(※『イカとクジラ』製作者)監督作品 ■〔映画雑談Vol.4〕「脱力した時に心に効く映画10本・ダーリン篇」&『ライフ・アクアティック』鑑賞メモ >>ピンク・フロイド関連 ●〔Pops,Rock雑談Vol.1〕ピンク・フロイド“The Show Must Go On” バレット脱退(1968年)後の実質的リーダーだったロジャー・ウォーターズは1985年にバンドからの脱退を正式表明。この日は、20年ぶりに一夜限りの再結成となる。そして、4人一緒のパフォーマンス自体が24年ぶりのものであった。 〔※本エントリーは、以下のサイトともリンク中〕 ** イカとクジラ@映画生活 |
by oh_darling66
| 2006-12-17 18:36
| ■映画鑑賞メモ/鑑賞プチ・メモ
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