■〔映画鑑賞メモVol.13〕『LOFT ロフト』(2005/黒沢清) |
こんばんは、ダーリン/Oh-Wellです。 さて、この10月唯一の三連休の初日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。 いやはや、今日の東京は台風一過というか、素晴らしい秋晴れだった訳ですが、 今週は週明けから雨が続きましたねぇ…。 特に、昨日(10/6)朝方からの、東京を含む関東地方あたりでの雨は、台風16号の直撃によるものでは無いものの(→◆岩谷忠幸の気象最前線)、久々の大降り、しかも、終日の大降りでしたよね。まぁ、会社、学校から真っ直ぐ帰ったにせよ、僕のように飲んでから帰路に就いたにせよ、可也、服やカバンなどを濡らして帰宅した人が多かったかと思います。 そう、「雨」と言えば、例えば、怪奇映画というものは、森の中に佇む洋館、古びた一軒家であったり、その地下室であったり、美男美女であったり、嵐の夜であったり、怪異な姿を持つ何者かであったりと、定番、かつ、重要な要素が幾つかあると思うのですが、「雨」というものそれ自体も劇中に陰鬱な気配を醸成し、また、例えば、ヒロインが追っ手や怪物から逃げ惑うシークェンスなどでのサスペンス効果を高めるなどの役割を果たしていますよね…。 僕が、ほぼ一か月前に鑑賞した『LOFT ロフト』なども、洋館が主舞台の一つですし、沼を擁した森も印象的ですし、主役カップルは美形ですし、幾つかの夜の気配も印象的ですし、突如嵐も起こったりするのですが、然程、「雨それ自体」の印象が残っていません。例えば、雨降りしきる夜、何者かに追われるヒロインがぬかるんだ道に足を取られることで観る者をハラハラさせるような演出というもは無かったように記憶しています。 ―さて、今回のエントリーは、黒沢清監督の最新劇場公開作となった『LOFT ロフト』〔◆Movie Walker〕についての最初の所感を書き残しておきます。 ***ネタバレ注意 僕に取って、黒沢清の新作映画『LOFT ロフト』は素朴に「じわり面白い」映画でした。じわりスリリングでじわり妙味、一つ大まかに言えば、そんな映画体験でした。 また、この、『LOFT ロフト』を初鑑賞し終えた際には、僕に取っては、『CURE キュア』(1997)、『回路』(2000)、『カリスマ』(1999)等々を初めて見終えた際の、いきなりのずっしり感や、『ドッペルゲンガー』(2002)を見終えた際の大きなカタルシスと言ったようなものを得られた訳では無かったものの、 黒沢監督が韓国のプロダクションの資金協力をも得て、自分のやってみたいものを気張った素振りなく、何と言うか…、余力でもって撮り上げてしまったようなスマートさがあるように思えましたし、実際に、そんな部分が反映されたかのような然りげない素振りが本作の美徳の一つにも僕は思えています。また、この映画時間に於いては、何かを読み解くようなストレスを感じることなく映画に浸っていられた心地好さに一貫する映画体験が叶ったように、今、改めて思えている次第です。 劇中のミイラの扱いに於ける呆気羅漢とした出鱈目臭さも、屋内外の空間描写のスマートさも、靄(もや)、霧が走っている沼の水面や森の美しさも、あの、木島(西島秀俊)によって死体が埋められたあたりの赤松の美しさも、女流作家・春名礼子(中谷美紀)が高円寺から移り住む東京郊外に建つ木造洋館と廃屋的な無表情のコンクリートの建物とが向き合う舞台装置としての妙も、幽霊の扱いに於ける黒沢清監督の相変わらずの冴えと新味(―端的にひとつを言えば、あの、安達祐実扮する幽霊が窓に残して行く手形)…等々をも含めて、映画を眼差す僕の意識は恐々(こわごわ)と覚醒し続け、 その、考古学者・吉岡(豊川悦司)とヒロインの会話中にあったものからすれば、あるいは、およそ千年前、末永い美貌、若さを得るために泥を大量に飲んで沼に沈みミイラになったらしい女性と突如黒い泥を吐き出すヒロインとの因果関係、 吉岡を中心とする考古学研究チームが沼の底から引き上げたものの、然るべき保存処置をせずに吉岡が身近に置くままと相成っているミイラ自体、そして、昭和初期のものとされる記録フィルムに映っている、シーツに包まれたミイラごときものとの関連、 吉岡の同僚・友人である日野(大杉蓮)が口にしていた、睡眠中に金縛りにあった時に日野の体にしばらく乗っていたと云うひんやりとしたゴムの塊のようなものの正体、 さらには、安達祐実扮する幽霊と吉岡が身近に置くミイラとの関連… ―等々と云った、劇中に映像や台詞で示された不可解なものが劇中具体的に解き明かされることも無く映画時間が紡がれて行く訳ですが、本作にあっては、そんな状態が僕の中におのずとサスペンス状態を持続させるものと相成り、劇中、何ら解き明かされないあれこれが、僕にストレスを感じさせることも殆どありませんでした。 そして、本作は、黒沢清の自家薬籠中のものたるホラーに、「メロドラマ」性、そして、往年のハリウッド怪奇映画の風景、趣と云ったもの取り込みようが、大げさなものではないながらも、これまでの黒沢映画に無い新鮮なトーン、肌理を加えていたように思えました。 ヒロインが最初に吉岡の影を目に止める木造洋館の2階の窓辺、廃屋の汚れた曇りガラス越しに掌を合わせる吉岡とヒロインの姿、距離感、また、吉岡が窓越しに目に止める、洋館の窓辺に佇むこの洋館の前の住人・亜矢(安達祐実)の物憂げな姿等々、二つの建物の窓が取り持つ男女のさまざまの距離感がロマンチックさも不穏さも相俟つ、他者に時めく感情を示し得ていたかと思いますし、 また、ヒロインは、スランプの末、亜矢の遺した原稿を書き写す訳ですが、それを担当編集者・木島に手渡した後にいよいよ接近して行くヒロインと吉岡や、嵐の中で交わされる、通俗的な恋愛小説の台詞にもありそうな、この男女の大仰な言葉のやりとり、そして、熱い抱擁など等は、これまでの黒沢作品には見られぬ生々しいウエット感をもたらしていたかとも思います。 『CURE キュア』等を含めたこれまでの黒沢ホラーと同様、劇中に於ける現実音的なノイズとして施された部分をも含む「音」も、本作に有っても、また、映画中の不穏、緊迫を醸成する大きな役割を果たしていたかと思います。 今、一つ一つを事細かに書き示すことは一旦おかせて頂きますが、 洋館の外に唸る風音、 真夜中、停電したままの洋館にひとり居るヒロインを突如襲う天井からの物音、無人の階段が示される中での木造家屋のきしみ、 そして、洋館の敷地だかに設置された焼却炉が作動中に発する重々しく寒々しい金属音と投げ入れられたものが燃えて行く際の曰く言いがたい無情な引火音、 あの、沼の桟橋の先に備え付けられた巻き上げ機のハンドルを操作する際の重々しいきしみ音とカラカラした回転音(…あの、映写室で「ミドリ沼のミイラ」の上映が終わった後に、フィルムがリールに巻き取られ切ったあとのカラカラと云う乾いた音にも重なって聴こえていたかもしれない…)、 木島によって洋館に投げ入れられる石が窓を突き破る暴力的な乾いた音、 また、吉岡が突如ミイラにメスを突き刺した際の乾いた音… ―等々、印象深い「音」が幾多思い起こせます。 この映画には、人間とともに、幽霊、そして、ミイラが出てくる訳ですが、幽霊に於いては、僕はそれに姿形を与えた安達祐実のフォトジェニックさ、非凡な“可愛らし美しさ”とでも云ったものが引き出され活かされていたかと思い、僕は、安達祐実扮するそれ自体に、そして、黒沢清の安達祐実を得ての幽霊造形に素朴に目を瞠り、見惚れているばかりでした。 そして、一方のミイラに於いては、あの、立ち上がった際のミイラの姿、見せ方に於いて少々説得力に欠けていたように思えています。 例えば、『回路』に於ける、あの公営住宅の一室で一人の青年の前に姿を現しスローモーションのように向うから迫ってくる女の幽霊、そして、あの廃屋のような工場の一室で加藤晴彦扮する主人公の前に姿を現す男の幽霊に於ける見せ方の冴え、緻密さ、有無を言わせぬ映像そのものでの説得力が欠けていたように思えました。その、『回路』に登場する幽霊たちの姿は、何と言うか…、ホログラム映像のようにも、生身の肉体のごとしにも見えながら、不幸にも主人公たちに見えてしまった、まさに、「幽霊」としてフィルム上に存在してしまっている。「幽霊」たちは、途中、前のめりによろけたり、加藤晴彦によって体を掴まれてしまう意外さをも示しつつ、あの映画時間の中で凄まじい恐怖そのものとして僕に迫って来る…。 一方での、本作『LOFT ロフト』に於けるミイラの造形は、それを切り刻もうにも果たせずに頭を抱えて苦悩する吉岡の傍らでむっくりと起き上がった途端に、それまでにそのミイラが醸し出していた素晴らしき異形性を失ってしまったように思えました。 ただ、総じて言えば、十分、緊迫感を孕む115分だと思えました。一見、黒沢清の純粋な新味かと観客に見つめさせる、美形の主役男女の姿が在ることそれ自体の心地好さ、甘美、延いては、彼らの「恋」ですら、最終的には単なる恐怖以上のものを観客に味あわせるための要素だったと言えなくもなさそう…そんな風に、今、思いが及んでいます。 そう、他者の遺した小説原稿を盗用したものの、最終的には、そんな自分を否定するに至るヒロインに象徴されているのか否かは別として、僕に於いては、先述した、ヒロインが吐き出す泥の意味、そのヒロインとミイラとの因果関係等等を読み解くことを含めたストーリー性云々ではなく、また、映画の鑑賞中にあって画面に紡ぎ出されているものから自分の中でストーリーをでっち上げて行くことよりは、この、最初から不穏に謎めきながらも、何やら、仕舞いには、唐突に、この世に連綿とある真相の一端でも垣間見えて来そうな映画時間に(出来るだけ無心に)浸っている快楽の方が勝る、その部分をもっと説得力をもって言い表すことが叶えば、あの115分に浸っていることに辛うじて準じる喜びが得られるのかもしれません。 ―と云う訳で、再鑑賞して、また、細部を含めたところに考えが及んだ上で纏(まとま)るものが有れば追記してみたく思っています。 〔当ブログ内の関連エントリー〕 ■〔映画鑑賞メモVol.17〕『叫』(2006/黒沢清) ◆9月10日を振り返る/黒沢清に関するプチ・メモ…未満^^(※仮題) P.S) さて、今年もまた、古代エジプトのあれこれが日本にやってくるようですね…。 cf.昨秋開催された「古代エジプト展」のエントリーはこちら! ―それでは、皆さん、ご友人、恋人、ご家族と楽しい3連休を~(^^)v |
by oh_darling66
| 2006-10-07 22:58
| ■映画鑑賞メモ/鑑賞プチ・メモ
|
<< ■〔映画雑談Vol.27〕キム... | ●〔Pops,Rock雑談Vo... >> |