■〔映画鑑賞メモVol.12〕『ローズ・イン・タイドランド』(2005/テリー・ギリアム) |
◆◆鑑賞前メモはこちら~ こんにちは、ダーリン/Oh-Wellです! ここ東京では、8月に入ってからというもの、じりじりと熱くなり過ぎない気持ちの良い夏の晴天日が続いています! さて、私、8月の始めにはお盆休み前の“プチ休暇”を取っていたりもし中々ブログの更新が出来なかったのですが、ともかく、これから暫くはのんびりと更新、更新未満^^等々して参る所存です。 えぇ、今回は、中々エントリーが出来ぬままだった『ローズ・イン・タイドランド(2005/テリー・ギリアム)』〔◆IMDb〕の鑑賞メモを残しておきます。 **ネタバレ注意 『ローズ・イン・タイドランド』は、僕に取っては、一つには、少年(/少女)期の一面であろう自閉的なひりひりするような痛々しい部分をも含む内面性が反映された、小さくもあり、また、取り留めの無いようなものでもあろう世界観、そんな、一様な形や言葉に納まりようがない世界観を、ギリアムなりの確信を持っての創造性でヴィジュアル化し得た作品だと思えています。 また、映画の主舞台となる、あのテキサスの草原地帯からは、10歳ほどの少女“ジェライザ=ローズ”(ジョデル・フェルランド)が来る日も来る日もそれを目に納め心を弾ませて遊ぶには十分な視覚的空間的広がりを持っているように思えました。しかし同時に、あの草原地帯というものは、地平的に途轍もなく大きな広がりを持っているようには感じさせない空間性があったかと思います…。 ただ、この、草原中に於けるヒロインの特定の遊び場(―祖母の屋敷内はもとより、逆さになったスクール・バスの中やら、劇中、ヒロインの唯一の友人とも為る“ディキンズ”が大木の傍に作った“潜水艦”内やら…)には、物理的広さ・大きさとは別種の濃密な空間性を感じ取れもしました。 (―ヒロインの遊び相手、友達は、上述したディキンズに加えて、あのスクール・バスの中でヒロインの傍を飛び交っていた蛍たち、そして、あの頭だけの四つのバービー人形たちがありますね。映画のエンディングに於いては、ヒロインの傍にバービー人形たち、ディキンズの姿は最早無い…) 上述したような、僕が本作に感じ取った『ローズ・イン・タイドランド』の小さくもあり取り留めの無いようなものでもある世界観、また、あの草原風景の有限性とでも云ったものは、僕の中では、ギリアムがモンティ・パイソン時代にテリー・ジョーンズと共同監督した『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1975|※下Ph)と、主にある一点に於いてだけ重なるところがあります。詳細は措きますが、この『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』という映画に於いては、伝説上のアーサー王と円卓の騎士たちによる聖杯探しの旅を描く遥か中世の地平が、終盤で突如断絶されるような状況と相成る訳なのですが、 『ローズ・イン・タイランド』に於いても、矢張り、映画終盤に於いて、この草原地帯を断絶させてしまう状況というか光景(―そこには、何やら途轍もなく無く巨大な規模に見て取れる土砂採取工事だか何らかの巨大施設を建造する為の整地工事だかが進行した大地が広がっている…)が突如示される訳です。 この草原風景に僕が感じ取っていた有限性とでも言ったものは、一つには、これが、予(あらかじ)め失われつつ在る風景であったからなのでしょう…。 さて、『ローズ・イン・タイドランド』は、草原に始まり草原で終る。日中(ひなか)の草原に始まり真夜中の草原で終る。ただ、その草原は、実は、まさに映画の冒頭がそうであるように、劇中何度かヒロインが想起する海のイメージにも重ね合わされる。 この海のイメージは、その生前から、クスリを打つことで憧れの地“ユトランド”(―デンマークの干潟地帯らしい…)にトリップを重ねていた父親ノア(ジェフ・ブリッジス)の影響と、そして、ヒロインが両親の生存中から愛読していた『不思議の国のアリス』の影響が相俟ってのものとは言えるでしょう。 詳細は省きますが、ヒロイン“ジェライザ=ローズ”は、母親の急死後、父親に連れられ、祖母が住んでいたテキサスの草原中の一軒家に移り住んでくる。 父親はこの草原が広がる故郷/新天地にやって来て屋敷の中に落ち着くやいつものようにクスリを打ってトリップ、そして、中々目覚めない…。 そんなある日、ヒロインはハチに刺されて白濁した右目を持つ“デル”(ジャネット・マクティア)と云う女性に出会い、 程なくして、その弟である“ディキンズ”(ブレンダン・フレッチャー)とも出会い、彼らと交流を重ねて行くようになる。 ディキンズは脳手術を施されて10歳ほどの知能しかないことが劇中ディキンズ自身によってヒロインに明かされる。彼は、姉の剥製制作を手伝ってはいるが、これまた、ヒロインに明かすところでは、この海原のような草原に不意に現れる巨大鮫を仕留める夢を持つ“巨大鮫ハンター”たる潜水艦艦長でもある…。 観客は、この、俄(にわ)かには正体を掴み切れぬディキンズと、そして、その姉デルが、ヒロインのパパと祖母に因縁浅からぬ人物であることを徐々に知らされて行くこととも為る…。 ともかく、初鑑賞した限りで言いますと、僕に取ってのこの映画時間は、ジョデル・フェルランド扮する美少女“ジェライザ・ローズ”が目の当たりにするさまざまな現実、彼女が浸る夢想、あるいは、それらが相俟つようなものを、心地好さと痛々しさの相半ばするような思いで見つめてしまうがままだったように、今、思い起こします。 僕に取っての圧巻部は、あの終幕近くに於ける、『サイコ』(1960/ヒッチコック)の母屋とも似た不穏な空気感がたちこめて来る、姉弟の住む屋敷内での凄惨なクライマックスからヒロインが現実に目覚め始める前段階を示したようなエンディングにかけての映画時間。 あの列車脱線事故は、それ以前のヒロインとディキンズとが絡む一連のシーンを見ていれば予測のつく悲劇かと思えますし、物語上の流れとしても必然ではあるかとは思うものの(―列車の脱線は、すなわち、ヒロインの悪夢的な旅/日常の終焉を暗示しているのでしょう)、不思議なほどに唐突感を持って僕に迫って来るものでした。 ともかく、ここエンディングの事故現場に於いては、ヒロインには最早両親も身寄りも無いことに加え、バービー人形も、そして、おそらくは、ディキンズも失っている…。そんなヒロインに、事故に遭った乗客の一人が「一人(旅)?」とでも声を掛け、食べ物を分けえ与える。 そんな二人の頭上に、映画冒頭ほどでも示された逆さになったスクール・バスの中でヒロインの傍を飛び回っていた蛍たちが再び現れる。その蛍の発光を映したヒロインの瞳が宵闇の中に浮かびあがる、そのしばらくアップで示された瞳は黒味の背景にフェイド・アウトし、そのまま、黒い背景のエンディング・クレジットに繋がって行く…。 本作を大まかに顧みて、今、思うことの一つは、ここにあった幾つかのイメージ、ヴィジュアルに対する僕の感じ方と云うものは、いつ鑑賞しても一様なものに収まるようなものでは無さそうだということ…。 つまりは、本作に於いては、初鑑賞の際には心地良かったイメージが、別の鑑賞の機会には、その映像の持つ良し悪しなどとは別のところで不快に感じ取れてしまうかもしれませんし、また、醜悪にしか思えなかった部分に目を瞠ったり愛おしく受け止められたりすることも有り得るのではないかと、まぁ、漠と、そんなことを思ったりしている訳です。 ともかく、本作に紡がれたイメージ、ヴィジュアルは何かを観客に強要するためのものでは無さそうだ…、それは、僕が素朴に思えているところです。 (※8月8日昼、一部追記。) 〔※当ブログ内の関連記事〕 ■〔映画雑談Vol.19〕『ローズ・イン・タイドランド(2005/テリー・ギリアム)』 ―鑑賞前メモ(※尚、今夏日本公開予定) 〔※本エントリーは、以下のサイトともリンク中〕 ** ローズ・イン・タイドランド@映画生活 |
by oh_darling66
| 2006-08-05 18:54
| ■映画鑑賞メモ/鑑賞プチ・メモ
|
<< ◆残暑お見舞い~北陸旅行のプチ... | ●ちょっとしたお知らせ(vol.2) >> |